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福島県・桑折駅前仮設住宅に暮らす360人の殆どは、東京電力・福島原発事故により浪江町から避難されてきた人たちです。 私たちHATは、ゆったりとした一時を過ごしていただきたいとの思いで、昨年から、現地仮設集会所でカフェ『来らんしょ』を開き、交流を重ねてまいりました。
今回は、より多くの皆様に3年経った今の状況を知っていただきたく、小澤是寛自治会長をお呼びし、セミナー(講演会)を開催しました。
3/30生憎の雨模様でしたが、会場(JICA地球ひろば)は、HATより参加を呼びかけた方に加え、JICAホームページをご覧になって参加された方もかなりあり、ほぼ椅子席が埋まりました。
DVD[見えない雲の下で](ドキュメントアニメ)
「放射能汚染に追い立てられ彼方此方に移動!」………参加者は粛然として見つめる
第一部は、DVD「見えない雲の下で」。これは、原発事故の被災、そして避難所の生活を記録として残し、風化させないよう作った「紙芝居」を、原爆の地・広島の有志が「アニメ」に製作したものです。見えない放射能汚染に追い立てられ彼方此方と移動させられる人々の様子がリアルに映し出され、皆さん、粛然としてご覧になっておりました。

小澤自治会長の話(要旨)
はじめに、震災前の自然豊かな故郷での暮らしを紹介
第二部は、原発事故前の、山では山菜、川ではアユや鮭、海は海水浴など、自然豊かな浪江町、また年中行事で賑わい楽しい町の姿を次々と紹介。
原発事故避難のため、行方不明の捜索を中断。助けられる人を助けられなかった。とても悔しい。
3月11日。沿岸部は大津波で多くの方が命を落とされ、翌12日には、原発事故により半径10Km範囲に避難指示が出され立ち入り禁止、このため捜索が中断され、助かる命も失ってとても悔しい。
同12日、1号建屋で爆発音、14日には3号機で爆発。15日、半径20〜30km圏内の住民に屋内退避指示、午後に自家用車で自主避難、またバスなど町手配の車で二本松市など15箇所に集団避難を開始………。
4月5日から二本松、会津地方の17箇所の旅館・ホテルなどへ2次避難を開始。避難箇所を7回から13回と変わった人もいる。
情報発信されず、町民の殆どは、逆に高線量地域に避難行
住民に、放射線量の情報は無く、放射線拡散の範囲を示すスピーディは、国からの情報は隠され、福島県では管理の手違いなどで情報が発信されなかった。後で分かったことであるが、浪江町民の殆どが、線量の高いところ、高いところへと避難をしていた。悔しさでいっぱいです。
家族、地域の絆を奪われ、厳しい避難生活が始まる。
浪江町の人口は、約21,400人。3.11以降、家族・地域はバラバラになり、福島県内の28箇所の仮設住宅に約4,400人、みなし仮設に約8,200人、日本全国各都道府県(福島除く45県)に6,500人が生活をさせられている。
町民は、バラバラに避難したために従来の町民同士の絆、家族との絆を奪われ、苦しみの生活が始まった。私は、浪江から80kmの桑折町の仮設住宅で、約360人の住民とともに生活している。部屋の規模は、一人は6坪、2人〜3人は9坪、4人以上は、12坪、収納スペースもない。
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大変不便な生活を強いられているが、全国のボランティアから、音楽・芸能の催し物、手作りの指導支援、花植えや物資の支援を多くいただき、日中は元気な顔で頑張っているが、夜には、一人の人もおり、また家族との会話も少なくなっている。
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仮設で、自治会長として3年間、皆さんへの奉仕活動をしているが、何よりもつらかったことは、この仮設から、14人の方をあの世に送ったことです。(この時、小澤さんは少し涙ぐみ、声を詰まらせながら訥々と話されておりました。)
2年間、風雨に曝され、放射線で汚染の家の中はネズミが繁殖し、また家の周囲は背丈以上の草に覆われる
浪江町は、昨年4月1日より、線量に応じて、3つの区域(避難解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域)に分けられた。仮設の住民は複雑な思いで、また、ようやく出来た互いの人間関係がギクシャクとしている。
自宅へ1時帰宅するにしても、入り口で通行許可証を提示しなければならない。2年間、風雨に曝され、放射線で汚染の家の中はネズミが繁殖し、また周囲は背丈以上の草に覆われている。街中では、イノブタの親子が道路、屋敷、家の中まで入っている地域もある。
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現在も倒壊建物は震災時のままで、片付け、除染も手付かずのままである。完成間際の工事(道路、体育館など)、全て3.11のまま放置されている。
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仮置き場、中間処理場の目途は立たず、除染完了の見通しはない。現在の除染は、除染ではなく「移染」である。
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不信と不安を抱える住民に今後の選択を聞かれても判断は出来ない。
国は、3区域化した町村から除染・インフラ整備を開始する、といっているが詳細な実施計画は未提示のままである。
昨年10月に町が実施した住民の帰還意向調査では、
 〇帰りたい人………………………………………… 18.8%
 〇帰りたいけど帰れない人、判断がつかない人…… 37.5%
 〇帰らない人………………………………………… 37.5%
 〇無回答……………………………………………… 6.2%

帰りたい人は、「昔から浪江町で育った高齢者は自分の家に戻りたい」「帰還困難区域であっても町内の復興住宅に帰りたい」。
帰りたいけど帰れない人、判断つかない人、帰らない人は、「子供を持つ人」「結婚前の人」「線量の不安」「家畜・ネズミの被害で復旧困難」「仕事・雇用」などが理由。
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現在も原発より放射能は自然放出されている。海・川・沼の汚染拡散防止が急務。
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これからの3年間を、この仮設住宅で高齢者を生活させることはできない。仮設で人生の終わりをさせないでください。
「浪江町は、今後6年間は帰れない町」と提言している。これからの3年間をこの仮設住宅で高齢者を生活させることは出来ないです。せめて「普通の普通」の生活をさせてください。
土地・建物の賠償を充分に行い、自力で建設又は移動を開始し普通に生活できる環境を整備させてほしい。仮設住宅で人生の終わりをさせないでください。
次世代への責任 語り継ぐ義務
今の復旧復興の計画・進捗状況からすると、何年たっても浪江町には若い人が帰る事は難しいと思う。しかし、震災瓦礫、原発事故の放射で汚された自然をこのままにするわけにはいかない。
せめて瓦礫は片付けて、放射能を出来る限り除染する事が、私達年配者の務めではないだろうか。故郷に帰りたいお年寄りは一杯いる。だから年寄りだけでも帰らせて、浪江町をきれいにする除染の基地として浪江町内に仮の町を造ってもらいたい。
自分の生れ育った所で瓦礫を片付け除染し、最期を迎える。これが浪江町のお年寄りの願いである。
原発の再稼動について、政府は原発事故の処理も出来ない中での安全が確認された所から再稼動をするという。これは被害を受けたものとして到底許されるものではない。
もう1基、原発が事故を起こせば、日本はどのようになるか、政府・電力会社は考えてほしい。
これから復旧・復興の体制に入り具体的な施策を立てながら進んでいくと思うが、大切なのは住民一人一人が、心身ともの健康で無ければ、前向きに進むことは出来ない。
若い方には、浪江町に戻る方は少ないと思うが、10年20年後に、浪江に戻ろうとする、故郷への思いを忘れることのない様に、先に戻る高齢者との絆を大切に、現在は、どんどん前向きに進んで、自分たちの新しい生活、未来を切り開いてもらいたいと思う。
今回の震災・原発事故に際し、物資・心の支えをいただいた全国の皆様に、福島・浪江の近況をお伝えする機会を与えていただいたことに感謝いたします。
最後は、再び、浪江町の景色や賑やかな祭の人出が、スライドで映し出されました。(終)
NPOハーベストタイム hat@eco.zaq.jp