※写真をクリックすると拡大されます
11月12日、キガリに到着した晩、ルワンダで活躍されているJICA現地スタッフ数名と夕食。現地の様子やご苦労されている点などを伺いました。短時間でしたが、大変有益な懇談となりました。ルワンダの現在置かれている状況がうっすらと見えてきました。要旨は以下の通りです。

同じアフリカでも、例えばエチオピアは植民地支配を免れたため、3000年来の地域関係、生活様式、伝統文化が今に続いています。しかしルワンダでは、1994年のジェノサイドによって、それが崩壊してしまいました。約900万人の内、約100万人が殺され、しかも誰が誰を殺したか分かる、つまり住民のネットワークがズタズタに引き裂かれてしまったのです。
現在、政府は和解のプロセスを定めて、2010年までに人工的なコミュニティ(イミデュクデュー「共に働くという意味」)を形成する考えのようです。強制的に移住させて共同体を作る試みとのことですが、そんなに平坦な道のりではなさそうです。

よほど親しくなった友人でも、家族のことを聞くことは躊躇されます。相手の方から話さない限り、触れないようにしています。

新しい国づくりのキーポイントは、現在続いている「経済成長」です。つまり今後さらに、農業などの生産性を高めて生活が改善され、また互助会的なものが機能していけば、地域ネットワーク作りは有効になると考えられます。

(私達が今回、婦人(ジェノサイドの未亡人)が中心となってコーヒー生産に従事している農園を視察する計画である、と話したところ)
この国では、「女性」というのは大切な視点だと思います。女性は、ルワンダでは、“社会的弱者”というより、むしろ“開発の主体者”と捉えるべきでしょう。女性は、国会議員の半数以上を占めています。
市民の活気ある素顔に、元気をいただきました。
11月15日 キガリの公設市場に立ち寄りました。食料、日用雑貨、衣類など、何でも揃う市場です。大きな体育館を2つ〜3合わせたぐらいの広さです。多くの人達が集まり活気に溢れていました。品物を売りつける店の人達、子供達も走り回っています。赤子を背負った少年なども見ました。値段交渉をしているのでしょうか?現地語が飛び交っています。そんな喧騒や人混みに身を置き、逞しい市民の素顔に触れて、何だかホッとして元気になりました。
映画“ルワンダの涙”の舞台「公立技術専門学校」
公設市場の丁度向かい側に「公立技術専門学校」があります。1994年4月、この学校に国連軍が内戦監視のために駐留し、数千人のツチ族住民がフツ族の襲撃を逃れて避難してきました。しかし国連軍は、外国人のみ救出して撤退。残されたツチ族の多くは殺戮されました。
有名な映画「ルワンダの涙」は、この事実に基づき、残っていた同専門学校の敷地内の校舎、教会などで現地ロケを行っています。映画は、欧米はじめ世界が、ルワンダ内戦を見捨てた史実を強く訴えています。私達も、最後にベルギー軍が撤退したとされる正門や、周辺の施設、教会など、映画のシーンを思い描きながら見学しました。
外に出ると、赤とピンクのユニフォームを着た100人ほどの人達が、周辺のレンガ壁の修復作業に従事していました。彼らは、ジェノサイドの囚人達だと説明されました。赤は既に刑期が決定している人で、ピンクは未決囚。いずれも労働奉仕をしているとのことでした。14年経って未だ裁判も開かれていない人がいるとのことです。厳しい現実と可愛いらしいピンク色とが何とも不釣合いで、悲壮感を和らげる意図でしょうか?何とも不思議な感じでした。
この「公立技術専門学校」が、近いうちに「技術大学」として新たにオープンするとの話を聞きました。かつての“悲劇の舞台”が生まれ変わり、今や新たな国の建設に向けて青年・学生を“育成する場”に大きく変わっていきます。
その後すぐ傍のレストランで、ルワンダの一般的なランチをいただきました。ライスに煮豆、野菜などが添えられ、美味しかったです。
当時の衣類、遺品がそのままに……「Nyamataの教会」
キガリから車で一時間ほどの「Nyamataの教会」を訪ねました。殺戮の恐怖から逃れて避難した数千人が、教会内で皆殺しにされた現場です。
入り口には、二度と繰り返してはならない!との強い決意のメッセージが掲げられてありました。政府の方針で、殺された人々の衣類や遺品が、14年経った今もそのままの状態で残されています。当時の状況が容易に想像され、足を踏み入れるのが躊躇されるほど、生々しい光景でした。天井には無数の銃弾の跡が見えます。
地下室には頭に傷跡が残る頭骸骨が整然と並べられていました。どうして?人はそこまで残虐になれるのだろうか?教会内で?背筋に悪寒が走り、現実の世界ではないような感覚に襲われました。
丁度、少し先の教会では結婚式が始まるところで、広場には綺麗に着飾った親族や友人達が、花婿・花嫁の到着を待っているところでした。そんな華やいだ雰囲気に少し気持ちが和らぎましたが、まさに暗と明の光景に、気持ちの整理がつかないまま、複雑な思いで帰路につきました。
二度とジェノサイドを繰り返してはならない! 「キガリのメモリアルセンター」
国内には多くの「ジェノサイド・メモリアル」(追悼施設)がありますが、キガリには中心となるメモリアル・センターがあります。正面の庭園には、花や木々また噴水などが美しくアレンジされていて、これら一つ一つに和解への決意、平和への誓いが込められています。建物の奥には納骨堂のような集団墓地があります。
建物の中へ入ると、国の歴史とジェノサイドが起きた背景などが、パネルや写真で詳細に説明されています。また、各コーナーのビデオ設備では、被害者の遺族の証言、裁判での被告の弁明などが、随時見られるようになっています。
ジェノサイドの背景・要因は、かつての宗主国であるベルギーが、恣意的に少数のツチ族と多数のフツ族を分裂させ、ツチ族を社会的支配階層として信託統治を行った、とそして虐げられたフツ族の憎しみが噴き出た、とありました。ジェノサイドは、長年の宗主国の統治政策が背景にあると思いました。アフリカの悲劇は現在も続いている、終わっていないと強く感じました。
外国人旅行者が多く訪れていました。また犠牲者、特に犠牲になった子供たちの写真コーナーは、とても正視できず、急いで通りすぎました。たった14年前に起きた信じ難い大虐殺の記録、また、その事実を国民の前に公開している「メモリアル・センター」を、現在の人々はどのように受け止めているのだろうか……。一見平和な現在の状況と、14年前の大事件との「ギャップ」を前に立ちすくすのみでした。
映画“ホテル・ルワンダ”で有名な「ホテル・ミルコリン」
映画“ホテル・ルワンダ”で有名な「ホテル・ミルコリン」を見学しました。現在改装工事中でプールなどは見られませんでしたが、レセプションのバルコニーから辺りを撮影しました。次回訪問する時は、このホテルに宿泊したいですね。
東京「表参道ヒルズ」のような「ブルボン・カフェ」
ルワンダにいることを忘れるような広々とした「ブルボン・カフェ」。1階は世界的に有名なブランド店のテナント、2階のカフェでは、コーヒー、紅茶の他にも、アイスクリームやケーキ・バー、そして美味しそうな料理まで。まるで東京の原宿か表参道のお店に来たような、ゆったりとして華やいだ感じの空間です。経営者はカガメ大統領夫人と聞き、またまたビックリ!しました
お問い合わせは、info@hatime.org または TEL/FAX:047-342-5181 までどうぞ