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11月13日、Kevin氏(「ミソジコーヒーカンパニー」の品質管理責任者)の案内で北部栽培地へ向かいました。
キガリ市内を抜けると、豊かな緑が大地を覆い、山々は頂上まで隙間無く開墾されていて、農民の勤勉さが伝わってきます。雨のせいでしょうか、アジアの風景にどこか似ているような感じもします。 |
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目的地のAbkundakawa Rushoshi(標高約1,800メートル)へは、キガリから約3時間弱のドライブ。4WDの車でぬかるんだ山道をあえぐように登り、ようやくウォッシングステーションにたどり着きました。この辺り一帯(約100ヘクタール)で、コーヒーを栽培しているとのこと。このウォッシングステーションは、ジェノサイドで未亡人になった女性達(ウーメンズ・アソシエーション)が中心となり運営しています。 |
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着いた時は、丁度、電気トラブルのため、ステーションがストップしていて、技術担当者が四苦八苦しながら修理にあたっていました。電気トラブルは結構頻繁に起きるようです。このため、農民達は、少し離れたところで、手動のチェリーの皮剥き機械を回していました。
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幸い5分ほどするとモーターが回りだし、ステーションが稼動し始めました。農民達は歓声を上げ、歌や踊りで喜びを表現し、早速作業開始。こちらもつられて万歳!と叫んでいました。Kevin氏の説明によると、洗浄した豆は直ぐに天日干しするのではなく、先ずビニールで覆った棚で干されるとのことで、いきなり天日にさらすと、豆の色が白くなるからとの説明でした。 |
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厳しい医療現場の状況、支援を強く要請されました!(近くの保健所を訪問)
ステーション近くの、Rushoshi保健センターを訪問しました。急に立ち寄ったにも関わらず、責任者のMukabandora Jeannetteさんは、快く応対してくださいました。オープンしてより現在まで、17,203人の人達を診てきたとのことで、但し深刻な病人は16q先にある、ルーリー・ホスピタルに運ぶのだそうです。現在看護婦6人、ボランティア1人、ソーシャル・アシスタント1人、そして助産婦6人の計14人が働いています。毎年各家庭から集める1,000フラン(約2ドル)が運営資金となりますが、それではとても足りないと訴えていました。確かに室内には分娩台のようなものがあるだけで、その他の医療器具や薬品など何にも有りません。「包帯などはあっても品質が極端に悪い。」とのことでした。帰り際に支援を強く要請されました。 |
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HATメンバーからの真心の品々をお届けしました。
保健所からステーションに戻ると、女性や子供たちが円陣を組み、手をたたき、歌に合わせて踊りながら、歓迎セレモニーが始まっていました。日本から持参したスカーフや文房具に対する感謝の思いを、歌と踊りに託しているとのことで、ドレスアップした女の子達もいます。婦人の代表による歓迎と感謝の言葉、そして私の挨拶のあと、“ウーメンズ・アソシエーション”の代表者 Kostagiさんに、お土産を手渡しました。彼女は満面の笑顔で喜びと感謝を表現されましたが、彼女の顔に刻まれた深い皺に心が痛みました。 |
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「焼きバナナ」を賞味
帰りに道沿いの小さな村のレストランで遅いランチをとることにしました。メニューは“ヤギのシシカバブ”と“焼きバナナ”。肉は絞めたてとの事で、歯ごたえがあり大変美味しく、またグリーン・バナナは皮ごと焼くと、まさに茹でたポテトのようにホクホクになります(主食の一つ)。塩をふって、ほうばりました。ルワンダ・ビアも乾いた喉に、ひときわ美味しく感じられました。 |
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「JENOSIDE」の余りにも重い現実
ふとレストランの向かい側の家々を見ると、どの家の壁にも同じ文章が書かれています。「JENOSIDE」と記された文字だけ色が違うので、意味を尋ねると、村のキャンペーンで「二度とジェノサイドは起こさない!」という内容を、各家々に掲げているのだとの事。一緒に食事をしていたKevinさんが「僕も両親と6人の兄弟を殺された。しかも誰(近隣の人)が殺したかが分かっているので辛い。」 と、ポツリと語り出しました。一瞬何と言って良いか言葉に詰まりました。 |
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